日本人の男性は意識的に、或は無意識的に女性より偉そうに振る舞っていますが、実体はお釈迦様に対して「俺は世界の端から端まで行けるぞ!」といきがって觔斗雲に乗って飛んでみせたら実はそれはお釈迦様の手のひらの端から端までだった、という孫悟空みたいなもので、そのお釈迦様こそが女性なのです。
ま、要するにこんなイメーヂですね |
確かに上記した理由だけではないですが「主人、旦那、亭主」
英語社会においてもかつては女性を "Mrs. John Smith" みたいにして呼び、文字通り男性の所有物的な扱いをしていました。しかしこのような表現はアチラにおいては時代に、というより意識的に淘汰されて逝きました......
言葉そのものの持つ意味をきちんと見つめ、
この「聖域」を神道的に解釈をするならば倭言葉には「言霊」
神霊が鎮まる神域かむやしろ |
喋っている人間のIQに下駄を履かせ、エセインテリゲンチャっぽく演出する為の道具としてだけの外来語だったら、せいぜい成金が持っている似合ってもいないブランド物程度のレベルの話なので可愛くもあり大した害はないと思うのですが、言葉というものは我々の思考に直結しており、時には意識まで鎮静させてしまう毒性が潜んでいるから気をつけるべきなのです。
このような愚行(と、敢えて言わせて頂きます。僕的にはこの手の行為は単なる政治的手段を越えた愛する日本語のレイプに他ならないのです)をし続ける事で核心の部分は寧ろ全く触れられずに済む為、本質的な改善や進歩はさらに遠のくように思うのです。
問題を上手に挿げ替えたら問題が問題でなくなっちゃうかも!?みたいな......
そういう意味ではくだんの男性もあながち単なるクレーマーではないんじゃないかと思いますね〜
もしかしたらやたらと臭い場所には英語を使いたがるこの日本人の
それは裏返してみると「『言霊』は倭言葉にしか宿っていない」という感覚が意識下のどこかにあるという事です。
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日本語というのは日本にしか適用されない言葉が幾つか存在する、という意味でも特殊な言語です。
例えば英語で天皇にあたる "emperor"という言葉は日本の「天皇」以外は「皇帝」と訳され、"prime minister"は日本の「総理大臣」以外は「首相」と訳されていますよね。
対してイギリスの"queen"という言葉は英国女王以外にも使われますし、"prime minister"という言葉も然り。アメリカの"president"も当然同じです。
「天皇」や「総理大臣」は日本にしかいないのです!
こう書くと「当たり前だろ」とか「そりゃそうだろ」と即座に反応される方も多いでしょう。
その脳の反射神経の感覚こそが英語で言う"exceptionalism" - 例外主義なのです。
それが非日本人の目にはどれだけ不思議かつ滑稽に映っているかを肌で感じられないのは我々日本人が自分達、そして自分達の使っている日本語そのものが当然「例外」であると心のどこかで信じ込んでしまっているのです。
そもそも英語には「言霊」にあたる単語はありません。英語に限らず西洋の言葉に対する感覚はもっと即物的というか、あくまでも詩的/美的/音楽的なもの、或はよりインパクトの強い言葉のコンビネーションや利用法というベクトルに特化したものです。
それはあくまでも神は一つ、そして地上ではなく天上にあり、下界の言葉は単なるコミュニケーションの
西洋では詩人らによって言葉が「詩」という域まで昇華し、生命が吹き込まれて初めてそこに霊性が降臨するという風に考えられていますが、日本においては文脈すら形成される以前の単語、下手したらその音節にすら「言霊」という霊性が宿ると信じられている訳です。
それが故に西洋の詩は(少なくとも19世紀位迄は)装飾的な方向に進化し、日本の詩は俳句のようなミニマリズムの方向に進化したのかもしれません。
言葉の錬金術師ランボオ |
先日仕事の取材で本田のASIMO最新型を開発した技術者の方とお話ししましたが、その方も「ロボットが進化して機能がどんどん充実してくると八百万神を信仰する日本人であるせいかどうしても『何か霊が宿りはじめているのでは』と感じ始めてしまう」と語っておりました。
日本特有の保守性というのは言葉に限らず霊が宿る万物への畏怖というか不可侵性みたいな感覚の顕在化したものではないかと感じるのです。
そう言った意味では例えば現行の日本国憲法なんかも既に神さんが宿ってしまい神性を帯びはじめてしまっているから「改正なんてとんでもない!」と政治家も有権者もどこかで思い込んでしまっているからなのかもしれませんね〜♪