2012年11月6日火曜日

垂直にやってくる西洋の神、水平にやってくる日本の神々

最近「ビギナーズ・クラシックス - 古事記」なる本を読みました。

古事記(ふることふみ、とも詠まれる) - 現存する日本最古の歴史書

僕の読んだ古事記は漢字仮名交じり文バージョン(元々古事記は漢文のみで書かれている)と現代語訳バージョンが併記されているのですが、補足説明として色々なコラムがところどころに出てきます。その中で文字通り「禿同」だったのがこの一文:

そもそも「GOD」を「神」と訳したことから不幸が始まった。
(略)異文化の本質を見極めないと是正には途方もない時間を要することになる。
人間は意思の最終決定に論理よりも情緒を優先するからである。

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西洋のGOD=神=世紀の大誤訳!

......というのは僕も常々考えていた事。

まず西洋のGOD、つまりキリスト教における「神」とは一体どのような存在なのでしょう?

キリスト教をはじめとする一神教の神とはまず「全知全能」 - 絶対的な宇宙の支配者、道徳の守護者で人間が逆らう事なんて許されないばかりか、文字通り畏怖すべき存在なのです。

リスボンのジェロニモス修道院

対して日本の(特に神道における)神様というのは対してどのような存在かというと.....

......気分屋で次に何をするか分かったもんじゃないし、嫉妬もするし、間違いも犯すし、人間の体を借りて酒は吞むわ、異性とは戯れるわと実に世俗的なんですね〜

新宿・花園神社の見世物小屋

天皇崇拝が始まる以前の神道の原始の姿がより色濃く残っている(と筆者が考える)アイヌ民族の間では例えば悪天候が続いたり、生活の糧である鮭があまり川に帰ってこなかったりすると民は「神が仕事を怠けている」と考えて村の長老を中心に「神(カムイ)」に文句を言いに行ったりしていました。

キリスト教をはじめ一神教において完全無欠な「神」に対してクレームをつけるなどというのは(少なくとも信心深い人達にとっては)有り得ない行為です!



そんな「GOD」&「神」 ー この二つの言葉の語源を紐解いてみると..........

「GOD」というのは古代サクソン語の "good" を意味する単語から派生したもの、という説があります。つまりGODは「正しき者」である、という事でしょう。

そこに議論の余地はなく、ひたすら崇め、恐れ、そして全知全能のGODの目において間違いを犯さずに生きる事によって復活の日に蘇らせてもらえる、という契約の主たるGODの絶対性があり、正しい者が正しく祈れば「必ず守ってくれる」存在なのです。

プラハのモルダウ川に架かるカレル橋

対して「神」という言葉には元々「自然の力」或は「不思議な力」という意味があります。全てのものに霊性が宿ると考えるアニミズム的な日本の神様とは「生命の源」とも解釈出来るでしょう。

それは所業の善悪を裁く存在とは全く関係のない、森羅万象の不思議をなんとか象徴としてでも捉えたい、と願う古代の人々の思いが込められており、誰でもお祈りをすれば「もしかしたら守ってくれるかもしれない」という存在なのです。

そんなユルさが故か、我が家の近所にある鳩森神社で夏祭りがあると協賛した方々の名前が書かれた提灯が代々木駅前に並びますが、その中には堂々と日本共産党さんの名前も連ねられております(笑)

「宗教は民衆のアヘンである」カール・マルクス


そんなゆるキャラ的な神々だらけの国、日本にカトリックの宣教師によってキリスト教の完全なる「全知全能の神」がもたらされた際、最初はどうも「神さま」というカジュアルな言葉がしっくりこないからという事で「でうす」とか「天主」とかいった別称が使われていたのです。

例えるなら「百匹の猫(神々)」対「一匹の虎(GOD)」という位似て非なるものですから当然といえば当然でしょう。

しかし結局便宜的な理由で「神」という呼称に統一されたようです.........

十六世紀に九州を中心に耶蘇教(ヤソ教、以前キリスト教は日本ではこう呼ばれており、南方熊楠などは最後迄そう呼んでおりました)が全国的に浸透していった理由の一つに宣教師が連れてきた医者が当時は不治の病だと思われていた人達の命を西洋の進んだ医学療法で次々と救って行ったという事がありました。

西洋においてこのような自然科学が進歩した理由も実はこのGOD/神のコンセプトの違いと無関係ではないと思うのです。

日本のアニミズム的な神々とは言ってみれば自然そのもの。つまり神さまにはクレームはつけてもやはり結局「世は全てよし」。神々(=自然)とは日々仲良く共存していく道を探る訳でございます。

一方西洋において自然とはあくまでも神の創造物であり、神そのものではありません。その中で神が自分の姿に似せて作ったという我々人間は神の下において頂点にあり、自然そのものも自分達の都合で改善していく事が全然アリなのです。

「改善」って日本の国民性を象徴する言葉と云われますが、決して日本人の専売特許ではないんですね。

この自然界に対する自意識の差が程よく教会の権力が衰えたある時点(つまり暗黒時代の終わり)から人々を覚醒させ、ヨーロッパにおいて急激に自然科学が進歩した原動力となったのではないでしょうか?

******

もう10年近く前になりますが、奈良県は吉野にありまする知る人ぞ知る「霊界の銀座」天川村に行った時の事です。

丁度その時は村の夏祭りだったのですが、歴史の古い集落だけあって古代の神事の姿を非常に色濃く残したものでした。

天川村の夏祭り

日もとっぷり暮れた頃、最後に村の神社の境内で大きな焚火をする訳ですが、丁度山を背にした境内の隅っこに立って観ていた時、村のおじさんがやってきて、

「兄ちゃん、悪いけどちょっとだけそっちに行ってくれるか?」

と言ってきました。そんなに大勢人がいて混んでいる訳でもないのに変な事を言うな、と思いながら50センチ程横に動くと、

「おおきに。そのくらいで大丈夫や」

人が一人通れるかどうか、という隙間が開いただけです。もし焚火の行列が通るんだったらもっと開けなくちゃ、と思い、

「これからここを誰かが通るんですか?」

と問いかけるとそのおじさんはあたかも当たり前の如く夜の闇にシルエットだけが浮かぶ裏山を指差して、

「あの山から来る神様が通るんや」

つまり背にしていた山から「神」が僕の横を通って焚火のところまでやってくる、というのです......

神が棲む天川の山


先日、友人の結婚式で所謂神式の挙式に参加しましたが、神社(倭言葉では「かむやしろ」)の本殿、つまり御神体の鎮座する場所で誓い合う訳ですが、基本的に御神体とは神棚のほぼ目線上にあります。

縄文時代に「まれびと」と呼ばれていた神は大抵が海の向こうから一年に一回、つまりお祭りの日にやってくる、と信じられていました。

つまり日本の神々は水平にやってくるのです。


対して昔の宗教画からモンティ・パイソンのアニメに至るまで、キリスト教の神様は常に祈る者の上から垂直にやってきます


「天」から垂直に訪れる「GOD」

海や山の向こうから水平に訪れる「神々」 

「上から目線」なんて言いますが、西洋のGODは正にその権化。人間の思い上がりを戒められる唯一の角度に存在するものなのです。

対して日本の神々は人間と目線を共有し、一年に一回遊びにくる来客。ですから「お客様は神様です」というのも、逆に「神様はお客様です」というのも真実なのではないでしょうか。

神事に参加して疲労困憊する筆者(笑)


まあ無神論者の僕にとってはどちらでもいい話ですが.........



3 件のコメント:

  1. The "God" of Christianity is a contradiction... In the west, they say that "If you do not dedicate your life to God and recognize Jesus Christ as your savior, then you will burn in hell for the rest of eternity!"... Then, in the next breath, they say, "But God loves you!"....

    It is this sort of contradiction and people taking things into literal meanings that make people confused... I don't believe in that "Christian God" or "Allah" or "Brahma Visnu Shiva" or a cow, either...

    I understand, and am sympathetic to older religions who thought that "God" was nature or the sun or the wind...(although they didn't use the word, "God")

    Ancient SE Asian and Nepal area civilizations seem to have worshipped the mountains... To them, too much water meant death in floods... To the ancient Greeks and Egyptians, the water God was their life. Without the water, they'd die.

    The word "God" carries too much luggage and is not suitable to an intelligent discussion on the "reason why we are here." Because, "Why am I here?" Is actually the reason for asking the existence of God, is it not?

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  2. Thank you, Mike, for a most intelligent observation. Whilst it was never my intention to criticize whatever someone wants to believe in in this blog, I cannot help feeling that the concept of so-called "God" in Christianity is greatly misinterpreted and, dare I say, abused.

    When I say that, I am not having a go at Christianity in its teachings. I see Christ as one of the greatest thinkers or philosophers "of his time" as Buddha or Mohammed were.

    There may or may not be a purpose in life, reason for every one of us to be here for all I know. Although I personally really don't care for the term, if someone chooses to call that particular force "God" or "gods", it is not for me to criticize. It is, however, utterly foolish to take what is not self-evident seriously to the point where you kill each other over the interpretation of the gospel. There is always an inherent danger in taking anything, be it holy text or spoken words, literally. Poetry has been around since the dawn of civilization to make us see that vital point in life by charming our intellectual sensitivity.

    I cannot agree more with your comment, "The word "God" carries too much luggage". The world would be a better place if we discarded of that irrevocably-contaminated word - after all, it's just a word with three letters - and carried on with practising what we believe to be the kind and respectful way to be.

    Gods in Shintoism ,upon the other hand, fortunately do not carry as much luggage because they don't preach the way one must be. They are devoid of moralities and don't even expect one to believe in them. Some westerners may wonder and ask "why, then, are they called "Gods"?" - Precisely, why should they be called "Gods"? That is the very theme this blog seeks to explore.

    Shintoism is largely and comparatively harmless except the part that was conveniently added some 2,680 years ago with a political motivation and that is the emperor-worshipping!

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  3. そうなんですよねぇ。「GOD」=「神」とされていることが、互いの文化の理解に支障をきたしている。
    その違いを、「垂直」と「水平」とした見方はとても共感でき、また、イメージしやすく流石と思いました。
    ほかにもこの領域で、誤訳というか、概念がないため理解し合えないものの代表に「罪」があります。英語には「sin」と「crime」とあって、聖書が取り扱っているのは「sin」、いわゆる原罪なのですが、日本にはその概念は無く、すべて「crime」の意で解釈されるため、わかりあえない原因となっています。
    「愛」もですね。ギリシャ語では4種類ありますから。
    いっそ概念が違う、または無いと受け止め合ってしまえば、互いの理解が深まるのになあ、と思っています。
    いつか「罪」や「愛」あたりの顕さんの考察も聞きたいす。
    そろそろまた、呑みにいきましょうよ。

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