ラベル 社会 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 社会 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2012年9月20日木曜日

(恋と)全面戦争はちょっとしたきっかけから....(後編)

前編では薩英戦争とイスラム圏の反米デモを例に上げて人間という生き物は本当にささいなきっかけから誰もが望まないとんでもない結果をもたらしてしまう、精神的に実に未熟な動物だという事を書きましたが、この後編では今まさにヒートアップして臨界点寸前な竹島/独島、そして尖閣諸島/釣魚島についての私見を述べさせて頂きたいと思います。

いずれの島も水源すらない為、農作不可でまともに人間が住めもしない(強引に住んでいる人もいるみたいですが、政治目的を除けば全く住居として選択する理由がない)、いわば海に浮かぶ岩のようなものです。

竹島 a.k.a. ドクド

「領海が増える」=「海底資源や漁場が手に入る」という実に人工的理由でそのような場所の領有権を巡って言い争い、暴力沙汰になって、下手したら「全面戦争をも辞さない」という現在の状況。

もし自分達以外の国々の間で起こっている国際ニュースとして客観的にみれば正気の沙汰ではないでしょう。

尖閣諸島a.k.a. 釣魚島

そんな訳で少しの間だけ悟りを開いた禅僧チャネリングして落ち着いて一連の動きをまとめてみましょう。

かなり以前からずっと燻っていた二つの全く別の領土問題が突然このタイミングで同時に噴出するというのも落ち着いて考えてみるとちょっとおかしくないですか?

総選挙も秒読み段階のこの時期に領土問題をエサに国民の愛国心を煽って一番得する人達といえば誰でしょう?  -  本当に裏工作は一切無かったとお思いですか?

文脈とは一切関係ない挿絵

中国の反日デモもツッコミどころ満載です。

日本で例えば反原発デモをする場合、事前に警察や自治体に届け出をしなくてはなりません。個人的にはこの決まりすら理不尽だと思うのですが、中国においては天安門事件以降、届け出をしてもデモは原則一切許可されません。

その辺りはこちらのブログに非常に判りやすく書かれています。

つまり明らかに中国共産党に何らかの利益があるからこそ黙認されている、と考える方が自然だと思うのです。

日本でこそ「暴徒と化したデモ集団は当局には制御不可能」みたいな報道をされていますが、それもかなりキナ臭いというか......

******

更にもっともっとそのものズバリな事を言ってしまうと日中韓の関係が悪化し、極東の緊張度が一気に高まる事で一番恩恵を受けるのはどんな人達でしょう?

政局に目が眩み、本当の意味での国益を見失ってしまった政治家、民衆、そして国につけいるのは実にたやすい、という事です。

******

こんな事を書くと「しかし自分達の国を自分達で守るのは当然だ!」と主張する人もきっといる事でしょう。僕も気高き自衛に関しては「いや、仰る通りで御座います」と申しておきます。

しかしこれら海から突き出ているだけの人間すら住めない岩を守る事が本当に気高い「自衛」なのでしょうか?

歴史的領土権の話をすればどのような国々でさえ絶対にお互い何らかの言い分があるに決まっているのです。

そこで一方が強引に自分達の言い分をゴリ押しするとどうなるか - 現在のイスラエルとパレスチナを見てみて下さい。

さて、ここで問題です:テルアビブの市営バスでは皆こぞって後部座席の方に乗ろうとしますが、それは何故でしょう?







テルアビブ市街を走る公営バス








答:自爆テロの人(大抵は女性)はバスに乗ってすぐに起爆スイッチを押すので、バスの前方座席は危険だから


これが怒りと憎しみの連鎖反応の結果です。

皆様はたかが海に浮かぶ岩の為にこれからそんな事を考えながら毎日通勤したいですか?

子供が学校へ行く前に「お弁当持った?バスの前の方に乗っちゃだめよ」と毎日言いたいですか?

実際に戦争を体験されている方々だったらこんな例を引き合いに出すまでもないですよね......

******

だからといって黙って「ほしいならもってけ!」と言えば良い、と言っている訳でもありませんし、皆様に僕と同じ様に考えて欲しい、と言っている訳でもありません。

ただ過熱した報道や炎上するネットのスレを見てアドレナリンを全開にし、新大久保に行って韓流ショップの営業妨害をしたりするのは先ほども言ったように正に一部の人達の思うツボ。芸をしこまれた熊がサーカスの本番で何も考えずに芸を始めるのと大差はないと思うのです。


日本人に限らず、人類は皆似たような事例で前述の連鎖反応を引き起こしてしまい、これまで何度も痛い思いを散々してきたのですから.........


「この世には無限なものが二つある - 「宇宙」と「人間の愚かさ」 - 但し前者に関してはまだ確信は持てていない。」

アルベルト・アインシュタイン


2012年9月18日火曜日

(恋と)全面戦争はちょっとしたきっかけから....(前編)

日本人が初めて体験した無差別爆撃大東亜戦争末期の1944年頃より始まった「空飛ぶ要塞」B29爆撃機によるものだと思われていらっしゃる方は多いでしょう。

神戸市を爆撃するB29

ミリヲタの方だったら即「いや日本における最初の無差別爆撃は開戦直後の1942年、B25によるドゥーリットル空襲だ」と言われるかもしれません。

空母ホーネットから飛び立つB25爆撃機

実は!日本で最初の市街地への無差別爆撃はそれらより遥かに遡って1863年、前年の生麦事件に端を発した薩英戦争で英国海軍が鹿児島市に対して行った砲撃なのです。

鹿児島市を砲撃する英艦隊

******

前置きは長くなりましたが、こんなヲタッキーなトリビアが今回のブログのテーマではありません(汗)!

そもそもこの薩英戦争のきっかけとなったのは「大名行列の真ん中に馬で飛び込んだ」という理由で薩摩藩士によってイギリス人が一名殺害され二名が重傷を負った、かの「生麦事件」が起こった際、当時のイギリス政府が薩摩藩に対し送りつけた要求文。

薩摩藩士に斬りつけられる英商人リチャードソン

この中にあった:


"......hand over the person responsible....."
(直訳:(事件の)責任者を引き渡すよう.....)


という一文で薩摩藩が文字通り真っ青に.......

........というのもこの時の通訳、福澤諭吉がこの「責任者」というのを「藩主」と訳したからのです.......

「そんな要求は当然受け入れられない!」

という事で薩摩藩、つまり現在の鹿児島県は当時地球の地表の4分の1を支配していた「陽の沈む事なき」世界最大・最強の大英帝国との戦争に突入してしまうのです.....

イケメン諭吉、サンフランシスコにて地元の可愛い娘と2ショット

英国側が言いたかったのは「責任者」つまり「(実際に斬った)犯人」を引き渡せ、という事だったのですが、(当時の)日本人、福澤諭吉の感覚だと責任者=当事者/担当者ではなく、責任者=藩主/社長となってしまうのですね。

今日の日本における大きな過失があった際の対処の仕方を見ていると、この辺の感覚は今も昔も実はさほど変わっていないのではないような気もします.......

いずれにしても日本史上初の市民/市街地への無差別爆撃は......

"responsible"

......というたった一語の誤訳/解釈の違いによって起こったのです!

(自分も含めて翻訳を生業とする者はこのエピソード、肝に銘じておきたいところです...)


******


話は変わりますが、現在イスラム教圏でもの凄い反米デモの嵐が吹き荒れており、既にリビアの駐アメリカ大使が殺害されるに至って、かなり深刻な国際問題に発展していますが、一応この一連の騒ぎのきっかけになったとされているのはインターネットにアップされたこの一本のビデオなのです:

予言者ムハンマドをネタにした映画 "Innocence of Muslims"

ご覧になればお判りの通り、実にチープな作りで殆どコメディ映画と言っても差し支えない見た目......

なのでイスラム教の信仰に触れた事のない人間にとってこんなショボいビデオが原因で大使が殺害されるなんてにわか信じ難いのではないでしょうか?

しかし実際に、少なくともこのビデオが口実として使われ、もの凄い怒りと憎しみの連鎖反応が生まれ、暴力的デモンストレーションがイスラム教圏で今も連日行われている事は事実なのです。

パキスタン・ペシャーワル市でアメリカ国旗を焼くイスラム教神学生ISOの生徒達

サラエボでの一発の銃弾から東京都23区と大阪市、横浜市の総人口を足したのよりやや多い1,600万人が戦死した第一次世界大戦が起こったように、恋、炉心溶触、そして全面戦争はいずれもちょっとしたきっかけから一気に連鎖反応が起こり事象が指数関数的に増大、気がついたら手遅れになっている、という摩訶不思議な性質をもっているものなのであります........

そのような歴史、若しくは経験値から我々人間が何かを学べるのだとしたら、人間とはたとえ理性を極限まで鍛錬したところで本質的にはいつまで経っても「動物」であるという事だと思うのです。

(人間も含めた)脊椎動物及び節足動物は縄張り意識が本能として備わっています。

人間という動物はこの本能を未完成の理性で半ば強引に正当化しようとする結果、自分達には手に負えない、本当は誰も望んでいなかった結末を引き起こしてしまうのではないでしょうか?

禅問答ではないですが、自分達はそもそも自分達の事を全く理解していないという毅然たる事実をまず理解し受け入れる事が人類全体がもう一次元上にステップ・アップする為の第一歩のような気がする今日このごろ......

そんな流れで後編は昨今ホットな話題を提供してくれている竹島/独島、尖閣諸島/魚釣島について暴論を述べさせて頂きます......

2012年9月14日金曜日

人類最後の日?

今回は日本が輩出した二大天才アニメーターによる最終戦争後に再構築された「理想郷」の解釈を通じて日本人の世代による「理想」の差、或は「理想」そのものの有無に関する仮説を展開してみたいと思います!

******

宮崎駿監督の「未来少年コナン」では2008年に最終戦争が勃発し、核兵器を遥かに上回る「超磁力兵器」で人類はほぼ滅亡してしまいます。

超磁力兵器 - 地軸がねじ曲がり、地核が破壊され、大陸がことごとく海に沈んでしまう

対して庵野秀明監督の「新世紀ヱヴァンゲリヲン」では2000年9月13日にやはり核兵器を凌ぐ「セカンドインパクト」で人類が滅亡の危機に瀕します。


セカンドインパクト - 秘密結社ゼーレが偽装した隕石衝突

これがこの宮崎駿と庵野秀明という日本アニメ界が生んだ天才二人によるSF2作品の現代文明崩壊のシナリオなのですが、両者に共通しているのはいずれも核兵器を凌ぐ新兵器によって地球自体の地軸や地殻が壊されて地表の様子が完全に変わってしまうという点です。

しかしそれ以上に興味深いのは共通していない点、つまり最終戦争後の世界の解釈の差とでも申しましょうか....



******


宮崎駿のコナンでは二つの対立する勢力 - 「ハイハーバー」と「インダストリア」- という国家/コミュニティーが出来ています。インダストリアは文字通り工業的で既に階級制度が徹底しており重苦しい空気に満ちた場所。そしてハイハーバーは産業革命以前のヨーロッパの田舎のような場所で、ここが物語の中では理想郷的な位置付けとなっています。


ヨーロピアンな雰囲気漂うハイハーバー

庵野秀明のエヴァでは「使途」と呼ばれる敵の攻撃に晒される、街並は90年代の東京そのものの第三新東京市という場所が物語の舞台となっています。そこには70'sビンテージ・カーのアルピーヌ・ルノーA310が走ってるかと思えば、ローソンが普通にあり、中学生は学校の帰りにガリガリ君を食べ、大人はエビスビールを飲んだりしているのです。


通勤ラッシュの第三新東京市

多くの人が密かにこの世界を一度リセットして桃源郷というかアルカディアというか、所謂「地上の楽園」みたいなものを再構築してみたい、という夢を持っていたりするのではないでしょうか?

この2作品に登場する「ハイハーバー」と「第三新東京市」はある意味この2監督のそんな「ノアの箱船コンプレックス」を具現化したイメージだと思うのです(「未来少年コナン」は原作本がありますが、宮崎駿が原型をとどめない程自己流にアレンジしてしまっているのでイメージはほぼオリジナルと言って差し支えないかと......)。



******


太平洋戦争開戦の年、1941年(昭和16年)に生まれた宮崎駿。

全共闘世代」 - 戦争の生々しい爪痕を目の当たりにしながら成長し、墨塗り教科書を手に取った戦後教育の申し子である事も相まって反戦思想が強い人達です。エンターテインメントといえば映画が中心、しかも日本では考えられない程の凄いセットで撮影されるアメリカ映画やおしゃれなフランス映画、そしてディズニーに代表されるテクニカラーのフルアニメーションなどを観て育っている為に海外への憧れも非常に強い世代であったといえるでしょう。そして日本の公害問題がピークの頃を若い頃に実体験しているだけに自然回帰、エコへの思い入れも強いのではないでしょうか。

そんな世代の宮崎監督にとって最終戦争を経てリセットした地球の理想像というのはエコで牧歌的、かつヨーロッパ的メルヘン溢れる世界 - ハイハーバー - そこには原点回帰を通じて本来の人間性を取り戻したいという監督の祈りのようなものが見え隠れしているような気がするのです。


ハイハーバー

それから約20年後、高度経済成長期の岩戸景気まっただ中の1960年(昭和35年)に生まれた庵野秀明。

物心ついた時からテレビも冷蔵庫もあり、衣食住に困る事も殆ど無くなった時代。ほぼ同世代のみうらじゅん(1958年/昭和33年生)が「不幸のない不幸」と呼んだほど、極度の貧困は勿論、戦争や大きな自然災害なども経験しなかった世代です。日本の子供向けエンターテインメントも充実し始め、国産アニメやウルトラマンといった実写ヒーローもの等を観て育った為に前の世代ほど海外への憧れは無くなってきています。学生運動も下火になり「しらけ世代」と呼ばれ、団塊の世代の様に現実の社会を変えるより、社会そのものをある種のフィクションとしてとらえる、斜めの見方をし始めた人達です。

そんな世代の庵野監督にとって最終戦争を経てリセットした地球の理想像というのはデジャヴ的現代社会 - 第三新東京市 - 「理想」というものの無責任さと潜在的危険性を見透かしてしまった者が一周まわってたどり着いた境地がこのパラレル・ワールドだったのではないでしょうか......


第三新東京市

勿論これは単に二人の世代の差だけではなく外向的な宮崎駿と内向的な庵野秀明との性格の違いも反映されているとは思いますが、いずれにしても育ってきた環境や社会的背景も全く無関係ではないか、と.........



******


何はともあれ!2012年の今も地軸がひん曲がるような最終戦争が勃発していないのはとりあえず有り難い事ですねぇ〜!