という訳でかなりさっくりと日本列島&ブリテン諸島の民族流入の歴史を辿ってみました。お互いに島国根性的アイデンティティーがありながら遺伝子的にはかなり複雑に混ざっている事が解っていただけたかと思います。
そして残念ながら一部の愛国者の方々が願っていた程日本は「選ばれた大和民族からなる純血な単民族国家」ではないのが遺伝学に基づいた真実です。
日本の縄文人と弥生人の共存と比べますとイギリスにおいてはローマ人にしてもサクソン人にしても自分達の生活圏に他民族の文化や言語が共存する事をほぼ容認していない、という点は興味深いと思います。
いかなる乱世であっても所詮男は男、女は女 - という事で当然そういったロマンティックなレベルでの愛の交歓&交配は多々あったとは思いますが、例えば現在の英語を見るとケルト語が語源となっているボキャブラリーは極端に少ないのです。日本では先住民族が後から来た民族の文化や言葉をあまり抵抗なく取り入れていたのに対して、太古の英国ではどうもそこまで平和的に文化交流が進んでいたような印象がないのです。
八百万の神を信仰する日本人は最初にキリスト教が伝来した際「また一人神様増えただな。めでてえ、めでてえ」とか何とか言って(たかどうかは定かではありませんが)何の抵抗もなく受け入れた(無論それから百数十年後に主に政治的な理由で幕府によって禁止令が公布されますが....)のに対して一神教の文化圏では「唯一無二の神」の解釈を巡って激しい殺戮が繰り広げられていた歴史をみても判るかな、と。
一神教・狩猟民族のヨーロッパでは他民族が侵入してくると大抵は結局完全討伐若しくは奴隷化というふうになっております。これは近世でも南北アメリカ大陸やオーストラリアにおいて起こった出来事を見てもお判りかと思います。
これは過去千年間に地球上で起こった戦争を表している動画ですが、ご覧になれば判る通り、ヨーロッパ(= 一神教・狩猟民族の地)における紛争の数は他の地域を圧倒しています:
子供達の「いじめ」でも判るように人間という生き物は「異物感」というものに素直に敏感に反応する「排他性」が本能としてあるのだと思いますが、それが故かやはり言葉、そして「笑い」の全く通じない異民族による侵略は共通言語(そして共通の笑いのツボ)がある人達の侵略と比べると人や物そして被支配民族の文化(言語も含む)の破壊が執拗なまでに徹底しているようです。
日本人も基本排他的民族だとは思いますが(排他的でない民族なんておそらく世界にはいないでしょう)、その反応はヨーロッパ人ほどシステマチックではなく、むしろ本能的かつ陰湿。システマチックではないが故にナチスのユダヤ人大量虐殺のような極端な方向に走る事もない反面で現在西洋で盛んな反人種差別教育やキャンペーンとかで啓蒙するのも難航している、という気がします。
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かつてケンブリッジで民俗学を専攻していたイギリス人の友人が「アングロサクソン民族が他の民族よりよりも優れている唯一の点は戦いと人殺し」と自嘲的に言っておりましたが、僕も色々考えてみると日本人がロシア人と中国人には戦争で勝ててもアメリカ人とイギリス人には勝てなかった理由というのは何となく判るのです。
どちらが勇敢だったか、どちらが戦士として優秀か、或はどちらがより残虐だったか、といった議論はさておき、一つだけ言えるのは:
兵士一人ノ犠牲ニツキ敵兵二人以上、極力最高ノ効率ニテ敵ヲ殺シ、戦二勝ツコトコレ最優先課題、ソノ目的ノ障害トナル要素ハ一切排除、絶対二自分達ノ生活圏ヲ守リ民族トシテ生キ延ビルベシ
という点に於いてはアングロサクソンという民族は倭民族より遥かに徹底していたと思います。
その点に関して英国の歩んで来た争いの歴史との因果関係は容易に指摘出来ますが、実は言語や笑いのセンスとも無関係ではないと思うのです..........
そのような訳で次回はそんな多神教の農耕民族と一神教の狩猟民族の笑いのツボの差を比較してみます!
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