2012年9月11日火曜日

爆笑文化比較論(8)最終回 - 僕達の本当の名前は?

未だに不明な要素だらけの人間の脳内回路で「笑い」という摩訶不思議かつ非常に高度な機能のスイッチがオンになる過程の構造を分析し、東洋/西洋文化比較論へと発展させる、というのが今回の連載ブログの趣旨だったですが、とどのつまり笑いの質に上も下もありません。だからユーモアのセンスの優位性や洗練度なんて突き詰めて考えればナンセンスです。要するに:


ウケたらそれで良し!


ただ「それを言っちゃあおしめえよ!」って事もありますので(笑)

流石にこの流れで皆さん既に良くご存知の日本のお笑い番組を紹介してもあまり意味ないんで、皆様の素晴らしい脳に負荷をかける意味でも(笑)日本ではまだ紹介されていないイギリスのコメディで最近観て本当に心から腹を抱えて笑ったのみならず素晴らしくかつ本当の意味で誠実だと思った作品を最後に.....

ご紹介するのはイギリスで毎年チャリティ団体が行っているComic Reliefという番組の中で2007年にリッキー・ジャーヴェイスという人が脚本・主演したコーナーです。

不肖私めが字幕タイトルを付けさせて頂きました.......

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One Love / Ricky Gervais







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何も考えないで観てしまうとどこまで本気なのか判らないどす黒過ぎるユーモア............

これはリッキー・ジャーヴェイスという人の得意のパターンで「エキストラ:スターに近づけ!」でも実生活でも落ち目のキャリアの俳優に実名で落ち目の俳優役をやらせたりとかして居心地の悪い笑いをとっています。

みのもんたが納豆を奨めたらすぐに「テレビで〜って言っていたから....」といって納豆を買いに行く、あるいは「テレビで安全だと言っていたから」セシウム検出食材を買ったりするような所謂「メディアの良心」を信じて疑わない方々がこのような作品を観たら恐らく嫌悪感すら覚えるでしょう - 帰依している対象の矛盾を指摘された信者の誰もがそうするように。

考える事や選択をする事に疲れてしまった人々が「テレビ」とか「メディア」を信じている、というかもっと正確に言えば「信じたい」という事実は日本もイギリスも大して変わりはないでしょう。

この作品の方に話を戻しますと番組自体が本物のチャリティーである、という状況を最大限利用してメディアや有名人によるチャリティーの本質的偽善、更に言えば我々全員の心の中を巣食う偽善を徹底的に晒す「聖域なき笑い」 - この道徳観の奥深くに突き刺さる笑いを通じてメディアの嘘や偽善を見抜く自律的判断力を受け手に与え、今日信者数世界最大の信仰「メディア教」への強烈な警鐘を鳴らしていると言えるでしょう。

「これこそ英国風ユーモアだっ!」と言い切るのは、ミスター・ビーンだって「英国風ユーモア」だという事を考えるとちょっと違う様な気はしますが「自分自身をネタに笑える」事を至上の美徳とする英国の国民性は多少反映されているかと......


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こういった自己批評的な笑いが育んだ精神土壌だからこそイギリス人の思考プロセスには「弁証法」が根付き、ひいては「議会制民主主義」、「近代司法制度」、「産業革命」、「社会保障」といった所謂近代国家にはデフォルトでついてくるアプリみたいなしくみが造り出されてきたのではないでしょうか?

対して誰でも共有出来る予定調和的な笑いが育んだ精神土壌の日本では治安がよく清潔で何の規制もしなくても自然に先進国の中で平社員とエグゼクティヴの給与差が最も少ない社会が育まれてきたのではないか、と.............


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この世の事象は全てコインの裏表、つまり長所を長所たるものにしている事が短所にも直結する訳です。ですから文明や文化、言語はてまたは笑いの優劣を語るのは基本ナンセンス。大事なのは満足して努力する事を辞めずに常に前進し続ける事。


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今から15年程前ロンドンで人間のオーラや守護霊が見える女性とお話しさせていただいた際、このようなアドバイスを頂きました:

"Change what you can"
(自分で変えられる部分は変えて行きなさい)

ここにおける「変えられない部分」というのは「自分を自分たらしめている」本来失ってはいけないものではないか、と僕は解釈しました。

これは個人の人生のみならず、言語や文化にも当てはまるのではないかと思います。


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先日友人の子供が家に遊びに来ていたので一緒に宮崎駿監督の「千と千尋の神隠し」を久しぶりに観ました。

毎回観るたびに色々な発見がある映画なのですが、今回改めて印象に残ったのは「湯婆婆」に「千尋」という名前を奪われ「千」と呼ばれるようになった千尋がハクに逢った際本当の名前を一瞬思い出せなくなった時、ハクが言ったこの言葉:



自分の本当の名前はとても大事なんだ
湯婆婆は人から名前を奪ってその人を支配するんだよ




この言葉を噛み締めながら皇紀2672年の日本を見渡してみると本当に色々な事に気付かされます。

..........僕達の本当の名前とは何なのでしょう?


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そんな訳でこの長いブログ・シリーズも今回で終わりです。最後迄読んで頂いて誠にありがとうございました。

もしお時間がありましたら感想や御意見、クレーム等を書き込んで頂けると嬉しいです!

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